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台湾、出会いの島
台湾について、どこの「出会い」から語り始めればいいのでしょうか。 これは様々な人々が 衝突と模索を繰り返しながら 共に紡いだ同じ土地の物語です。 私たちは様々な場所からやってきて、共にこの土地で暮らしています。 出会いの物語は、あなたと私の物語です。
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最初の上陸
最古の台湾人とは、一体誰なのか。どこから、なぜ台湾に渡来したのか。文字資料が残される前から、大勢の人々が台湾の地に足を踏み入れていました。当時の人々は、少人数のグループや小さな集落の単位で海を渡り、辿り着いた場所で多種多様な文化を形成してきました。彼らはこの島でお互いに行き来するようになり、交流を重ね、そしてここからまた別の世界へと旅立っていったのです。
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海によって生きる島と人
16世紀半ばになると、台湾は東アジア貿易の合流地点かつ中継貿易拠点になりました。洋の東西を問わず、海の覇権をめぐり各勢力がここで競合し、台湾の原住民社会も外来勢力の影響を受け始めました。まず、中国と日本の商人や海賊が台湾を中継貿易拠点にしました。17世紀以降、ヨーロッパからオランダ人やスペイン人が参入。東西文化がこの地で交わり合い、台湾は東アジア史において重要な地位を占めていました。
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山と海の間の共存と競合
17世紀に世界で貿易が活発化していく中、台湾は1684年に海を挟んで西方に隣接する清朝の版図に組み入れられました。これを機に漢民族が海を越えて大量に台湾に移住し始めました。そして、中央山脈以西の平原や丘陵、山沿いの様々な地域で独自の村落、産業、生活スタイルを発展させました。漢民族の入植者を主体とした伝統的な地域社会が形成されるようになりると、現地の原住民社会は未曾有の打撃を受けました。このような山と海に挟まれた土地で、様々なエスニックグループが共存と競合を繰り返していました。この時代は様々な人々が交流を繰り返し、複雑に関わり合っていた大きな時代でした。
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新秩序の下での苦悩と夢
日本は明治維新以降、富国強兵を旗印に欧米国家に倣い国家体制を確立し、近代化を推進していきました。1894年に勃発した日清戦争で清国は日本に敗退。翌1895年に台湾を日本へ割譲した後、日本は強大な軍事力により台湾を征服し、統治を開始しました。新しい統治者はそれまでとは違い、国の統治権徹底に力を入れ、土地と人を管理しただけでなく、住民にも忠誠を誓うように要求しました。そして台湾の人々は新しい出会いの中で、未曽有の大変革を体験することになりました。一方で、日本から取り入れられた西洋の近代的な文明に魅せられ、もう一方で植民地統治における差別待遇に苦しめられました。台湾の人々は、苦悩・抵抗・不平や現代的な生活への期待・変化の間で揺れながら半世紀にわたる「日本統治時代」を過ごしたのです。
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民主化の道
第二次世界大戦後、中華民国が台湾を接收し、台湾の住民はようやく植民地支配から解放され、誰もが「祖国復帰」できると思い、政治にも積極的に参加しました。やがて228事件の影響でその声もかき消されました。その後、国民政府が台湾に撤退し、台湾海峡を挟んで双方の軍隊が対峙。政府は人民の自由権を制限し38年にわたって戒厳体制を敷きました。「中華文化」だけを尊重する一方で、地方選挙を実施して、台湾を「自由中国」の模範省と宣揚しました。世代交代が進み、社会的な力が飛躍的に高まるにつれて、犧牲と奪取を繰り返しながらも、台湾を台湾として認識しようという声が次第に社会の中心を占めるようになりました。戒厳令解禁、動員戡乱廃止から総統直接選挙まで、中華民国は直接的な民主国家へと姿を変えていきました。このような紆余曲折を経た民主化の道は、意見の違いによる折衝と摩擦の過程であり、直近の2~3世代の台湾の人々がお互いを思い、多様な対話を通した生きられた経験でもあるのです。
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みんなの博物館
"「未来」は様々な「私たち」を貼り合わせて紡いでいくものです。 だから、引き合う力と不確かさに満ちているのです。 それだけに、無限の可能性を秘めています。 みんなの博物館では、 口を揃え、こう言っています。 お互いの声で 未来のメロディを 織り上げようと。"
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Peering Into A New Century
After viewing the historical changes and transformation of regimes, and seeing the various different groups and cultures that have contributed to the history of Taiwan, we have arrived at a junction between the past, present and future. At this moment, the tale of Taiwan has reached the end of a chapter. How will the story continue? Will it build on the foundations of a multi-ethnic Taiwan, and seek enrichment by continuing to draw on the influences of various cultures? And what will future hope to see? Let us take a look at letters written by the future of Taiwan, its young people, and listen to their hopes and fears with regard to themselves and their country. At the same time, we can also take a moment to contemplate Taiwan's present and future, as well as the chapters of tomorrow that will belong to us exclusively.
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