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平原:鹿場から田園へ
台湾西部の平原地域は、本来原住民の伝統的な生活領域で、梅花鹿などの野生動物が多数生息しており、原住民にとって重要な狩場でした。ところが、17世紀に入ってから、漢民族が移住し、開墾の主要な地域になっていきました。17世紀半ばになると、南部地域で大規模なサトウキビ栽培が始まり、清朝統治時代になっても、サトウキビ栽培と製糖のブームは続きました。中国華南地域で食糧需要が増加する中、18世紀には稲作が中部や北部地域へ拡大し、さらに人々が資金を集めて大型灌漑水路の開発に乗り出したことは、台湾の米生産量増加と米価格上昇だけでなく、水田面積の拡張や水田の平原から丘陵地への広がりをもたらしたのです。